採用活動について思うこと(その2)(2024.12.1)
前回のブログでも書いたとおり、私が工場の生産責任者として行ってきた採用活動、今思い返せば、反省点ばかりです。採用したこちらも採用された人も、互いに不幸と無駄にしかならなかったような、完全な失敗に終わったケースも、正直に言いますと無いとは言えないところです。 採用にはプロセスがあります。当時、採用の計画が誤っていたのか、求める人材像の煮つめが足らなかったのか、募集の方法が間違っていたのか・・・等々、自問自答を繰り返したものです。「自問自答」と書きましたが、採用について相談できる人が周囲にいなかった、ということもまた問題でした。もちろん、日々ともに働く仲間も部下もおり、上司もいたのですが、誰一人採用についてのノウハウを持つ人がいなかったのでした。そしてまた、日々の業務を行いながら、短期間で辞めていった人の穴埋めをまた探すのでした。また同じやり方で。
では、採用計画からのプロセスを見直せば、当時でも何とかなったでしょうか。また、方法を適切にすれば良かったのでしょうか。ノウハウが無いのですから、採用を外注してエージェントに任せきりにすれば良かったのでしょうか。
今だから分かる、最大の反省点を書きます。
それは私がここまで書いた、採用のプロセス以前の話です。採用とは「人との出会いである」ということです。「人材人財」ではありません。「人」です。これがすっぽりと抜け落ちていたことが根本的な誤りだったと思うのです。一般に、「企業と人」「組織と個人」という枠の中で語られ、また、そのように広く認識されています。ですが、組織も分解すれば「人」です。新しい人が入ってくれば、組織の中で個人と個人との関係が生まれます。組織内のヒエラルキーや役割で括り切れないものが必ず生まれます。言い換えると、採用活動とは、企業=すでにいる人達と、応募してきた人との出会いのプロセスと言うことができます。
互いに影響を与え合い、それによって互いに変化する、これが良好な「人と人との関係」です。採用し迎え入れる側は、この点をほとんど気にしません。当時の私も「組織の枠」に当てはめ「業務の穴」を埋めることしか考えていませんでした。また、それに合致する人材像に固執し、そういう人がどれだけ世にいるのかも考えず、不毛な可能性にかけるような採用活動に終始していました。簡単に言えば、新しい人を迎え入れることによってこちらも変わる、そういう覚悟が無かったのでした。
逆に、採用される側は、組織の中で働くための変化を常に求められることになります(当然その覚悟は必要ですが)。
時代は変化しています。全国社会保険労務士連合会では「人を大切にする企業づくりから人を大切にする社会の実現へ」と掲げています。もはや、組織的都合の一方的な押しつけでは、人を大切にする企業づくりは難しいと考えます。
採用云々以前に、まず人の人の出会いであるという基本に立ち返る必要があります。人が変われば企業の側もまた変わらなければなりません。また、これは次回以降に書いてゆく予定ですが「変わることのできる会社」という印象を応募者に持ってもらうことは、採用活動において有効に働きます。